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2017年3月 8日 (水)

「随所に主となれ」~現中3最終授業にあたって

随処作主【ずいしょさくしゅ】

もう少し長く引用すると、

随所に主となれば立処皆真なり(ずいしょにしゅとなれば、りっしょみなしんなり)」

 

どの道を生きようとも、常に自分の本心を忘れず主体的に生きるならば、

そのよって立つ所はすべて真実の道に通じる、という臨済宗の始祖・臨済義玄の言葉。

随は、したがう。なるにまかせるの意。

随処は随所で、与えられた所、自分が選んだ道にしたがう、

適応して積極的に生きるということ。

 

【意味】

人間は何事においても、どんなところにいても、

常に主体的に生きるという心掛けを持つこと。

主体的に生きることで、自然と周りに振り回されることはなくなってくる。

そして、自分自身の真実と出あうことができる。

 

 

主体的に生きるとは、どういうことであれ、

主体的に物事をとらえることを言います。

常に自分自身が主人公であるという気持ちを持つことですね。

 

例えば、自分の人生や今の状況を、つい周りの環境のせいとか、

人のせいにしたくなってしまいますよね。

しかし、自分の現状を全て、自分の責任だと思えないと、

自分で人生を切り開けなくなってしまいます。

「人のせい」だと考えている間、自分は何もしない、動かないからです。

「自分のせい」だと思えば、何とかしよう、と動き始められるのです。

 

ところで、

今までの「学習」は、やらされるものではなかったですか?

「やらされている」と思ったら、途端に「学習」は「面倒なもの」になります。

誰かにやらされているから、やっている。

これでも学年は進み、進学し、通う学校は変わります。

これで”自分の人生を歩んでいる”と言えるのでしょうか。

 

「誰かにやらされている」と考えることは、

誰かがさせたいと思っていることをしていることになります。

それは、すなわち、誰かの人生を歩んでいることと同じです。

人の道を歩いているに等しいのです。

 

自分の歩むべき道を歩まず、

人の道を歩いていると不平、不満を感じるのは当然です。

自分自身の幸福にはならないのですから。

 

自分の人生の主役は自分なのです。主人公は自分です。

そう考えてこそ、つらさや苦しさに耐えられるのです。

 

今、自分の周りにある環境や人は、みんな自分が選んできたもので、

自分にとって必要なもの、自分を磨いて成長させてくれるもの、と理解し、

目の前のことを一生懸命に、楽しんでやってみましょう。

 

自分が主人公の素晴らしいストーリーを作れるのは、自分だけなのです。

 

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